七十二候をおいかけて

日本の四季をさらに細かく区切った七十二侯。ひとつずつ知っていきたいと思います。

ある春の気づき【玄鳥至る】

清明 4月5日~4月9日
◆初侯:玄鳥至る(つばめきたる)
◆侯の魚介:初がつお
かつおの旬は初がつおの春と戻りがつおの秋の年に二階です。春のものは脂が少なくさっぱりしているのでたたきにするのが美味しく、秋は逆にたっぷりの脂が楽しめる刺身がよいのだとか。そのまま食べても美味しく、だしとしても優秀なかつお。一年で二度楽しめるかつおの季節は嬉しくなってしまいますね。
◆侯の鳥:つばめ
寒い冬は暖かい東南アジアで過ごすつばめは、春になると数千キロを飛んで日本に戻ってきます。古くから春の使い、神の使いとも愛されてきたつばめには「玄鳥(げんちょう)」「乙鳥(つばくら)」「天女(つばくらめ)」など呼び名がたっぷりです。

*****

ある春の気づき

 

一年のうち半分も日本にいないつばめ。

鳥の名前は全然わからない私でも綺麗な紺色の羽を羽ばたかせて、鮮やかな赤の模様の入った顔を見ると「ああ、つばめの季節がやってきたなあ」と感じる。

春に日本にやってきたつばめが最初にすることは快適に過ごす家作りだ。

駅や人家の軒下に作られた巣をわたしも何度も見たことがある。

もし自分の家にある日、突然作られたびっくりするよなあ…と考えたけれど「つばめが巣をかけるとその家は幸せになる」という言い伝えもあるくらい愛されているもののようだ。

少しずつ巣が出来上がっていく様子はつい見てしまうくらい面白いものがある。

以前、家から会社まで歩いていく途中での家でまさに巣を作ろうとするスタートに立ち会ったことがある。

こまめに動きながら枯草を加えて飛び、泥や唾で巣を作っている姿はなかなかに興味深く、毎日行きと帰りに進行状況を眺めていた。

しかし、雨と風で荒れに荒れた次の日の朝。

つばめの巣は崩れて地面に落ちていた。

前日まで綺麗な円を描いて壁にくっついて巣は見る影もなく、それはただの泥の塊のように見えた。

唾と泥と枯草でどれほどの耐久性があるのか、専門的な知識は全くないのでつばめとしてはそれは再利用できるものなのか、それとも一度壊れたものはもう見捨ててゆくしかないのかわからないけれど、勝手に毎日見守っていたわたしはもの悲しさを感じてしまった。

なんとなくでも毎日目に入るものって無意識的にも習慣ついているので、それがある日突然無くなってしまうと、あれ、と思うくらい心のどこかが寂しくなるんだなと思ったある春の気付き。

 

 

 

光ってからの1,2,3【雷乃声を発す】

春分 3月31日~4月5日
◆末侯:雷乃声を発す(かみなりのこえをはっす)
◆侯のことば:春雷
雷、というと夏が多いイメージですが、春に鳴るものを春雷と呼びます。ひと鳴り、ふた鳴りほどでやむ短い雷の音。とくにはじめて鳴る春雷を初雷と言います。また、雷の音で冬に冬眠していた虫たちを起こすことから虫出しの雷とも言います。
◆侯のお菓子:真鯛
昔からおめでたいことがあると鯛の出番。朝廷への貢ぎ物にしたり、将軍へ届けられたり。そんな鯛のいちばんおいしいサイズってなんだかご存知ですか?大きいほど立派だと思いがちですが、実は「鯛は目の下一尺」という言葉があるくらい、40センチから50センチくらいのサイズがもっともおいしいのだそうです。

*****

光ってからの1,2,3

びっくりすることやこわいことへの耐性が弱くなってしまったのか、すっかりお化けやら虫やら雷を避けて生きるようになってしまった。

しかし、小さいころはカブトムシも手で持てたし、蝶々やとんぼを見かけると走って追いかけていた。

いま思い返すとどれも鳥肌が立ちそうなくらいぞわぞわしてしまう。

いつからこんなに苦手なものが増えたのかと、大人になるってこういうことなのか…と悲しくなるこの頃。

しかし、雷についてはこどものときのわくわくを少し思い出す。

あのころ雨が降って雷が鳴るというのは小さなイベントごとだった。

ぴかっと光ってしばらくたつとどかんっと音がする。

どうして必ずその順番で来るのか、なぜセットなのか、そもそも雷ってなんなのかすらまだ何もわからないくらい小さかったころ。

大雨が降ると、父親とベランダ近くに寝そべってよく雷を眺めていた。

「お、いまのは近いぞ」ぱあっと大きな雷光が見えると父親が呟く。

それを聞くとわたしが「いち、に、さん・・・」と数えはじめてドカンとなるとわーーー!!ともりあがる。

今度はわたしの番だ。

ぴかっとひかって、いち、に、さん、からのどかん。

これを繰り返すあそび。

光は音よりも早くやってくること。

3秒でどかんが来ると大体1㎞ほど離れた場所でおちたということ。

その二つのあいだが近ければ近いほど、雷が近くに落ちるということ。

いまは、大きな雷鳴にびっくりして部屋にこもりがちだけれど、小さいころはそれが十分遊びの場だったし、学びの場でもあった。

少しだけ実家に帰っても良いかもしれないと思い返す、春雷の季節。

 

 

そっと背中をおしてくれる、春【桜始めて開く】

春分 3月26日~3月30日
◆次侯:桜始めて開く(さくらはじめてひらく)
◆侯の野菜:アスパラガス
日本では明治のころから広まったアスパラガスですが、ヨーロッパでは紀元前から食されていたと言います。味も食感もずいぶん違うように感じる緑色のアスパラガスとホワイトアスパラガスですが、実は全く同じもので育て方が違うだけだそうです。ホワイトアスパラガスは緑色のものより手間がかかっているぶん甘みなどが増され、ヨーロッパでは春を告げる野菜のひとつとして「春の女王」と呼ばれ愛されています。
◆侯のお菓子:桜餅
西日本と東日本でかたちの異なる桜餅。あんこと塩漬けにした桜の葉で包むということは共通していますが、小麦粉で出来た薄いかわで包むのが関東風。もち米を使った生地でくるむのが関西風となっていますが、生まれも育ちも関東圏の我が家ではなぜか毎年関西風のものを食していました。なので、ずっと「これが関東風」なんだと勘違い…という不思議。

*****

そっと背中をおしてくれる、春

桜、という花はわたしにとってとても特別な存在だ。

「満開ですねえ」と街を行き交う人たちがにこにこと挨拶を交わすころに誕生日を迎えるわたしは、桜が咲くと「ああ一年間経ったなあ」と感じる。

日本にいるのであれば、新しい生活がはじまる春は、すなわち、わたしも新しい年が始まるということでもある。

「はじめまして」のどきどきも「さようなら」の切なさも、それから「おめでとう」の嬉しさも、たくさんの感情が入り交じって、気持ちがいそがしいこの季節。

同級生のほとんどよりも早く誕生日を迎えてしまうことが、小さいころはあまりすきではなかったけれど、いまでは春に生まれて良かったなあと思えるようになってきた気がする。

街を歩くとみんなが上を見上げていたり、こもりっきりだった家を飛び出したくなったり、そんな浮足立ったピンク色の姿が見られるのは他の季節にはない気がするから。

咲き始めから散ってゆくまでの一週間だけ、南から順番にやってくる春の贈りもの。

「桜をみ見にいこうよ」だなんて、お花を理由にして、会いたい人たちに会いに行けるのはきっと今の季節しかないから。

ひらひら落ちてくる花びらをながめながら、また一年がんばろ、ってそっと息をすいこむ。

誰もがちょっぴり深呼吸して、気合を入れて、そんな春という季節が、今年は少し早めにやってきた。

それは気持ちをもっとかたちにする仕事がしてみたいと思い始めてから最初の春を迎える、わたしの背中をそっと押してくれているような気がする。

変わらず愛されていて【雀始めて巣くう】

春分 3月21日~3月25日
◆初侯:雀始めて巣くう(すずめはじめてすくう)
◆侯のことば:暁(あかつき)と曙(あけぼの)
春の夜が明けるほんのちょっと手前のまだ暗い夜明けの時間のことを「春暁」といいます。日本でも有名な漢詩「春眠暁を覚えず」のことでもあります。この暁の時間よりもちょっとあと、もう朝を迎えるぞという時間のことは「曙」といいます。平安時代清少納言は「春はあけぼのがいい」と詠いましたね。
きっと春の夜明け頃は言葉にしたくなる何かがあるのかもしれません。
◆侯の野菜:蕗(ふき)
4月から旬をむかえる蕗。春野菜の特徴かもしれませんが、あおあおしい香りやほろ苦い味が特徴です。日本が原産の野菜で野山に自生しています。日本が原産の野菜というのは実は数えられるほどしかなく、確実なのはフキ・ミツバ・ウド・ワサビ・アシタバ・セリと6種類もないんだとか。貴重な存在…!

*****

変わらず愛されていて

日本原産の野菜としてたった6種類しかいない貴重なフキ。

アイヌの伝承に登場する小人のコロボックルというのは「蕗の葉の下の人」という意味が込められているんだとか。

コロボックルと言えば日本初のファンタジーとも言われている佐藤さとる先生の「誰も知らない小さな国」を思い出す方も多いのではないでしょうか。

母が佐藤さとる先生のファンだったこともあり、実家には先生の本がほぼ揃っていました。「読んでみる?」と手渡された本がかなり年季の入ったとっておき感がとても嬉しく、部屋にこもって読み始めたことを覚えています。そしてせいたかさん(のちに呼ばれる名前)がコロボックルという小さな人たちと出会い、交流を深めていく物語は、案の定もうわくわくして当時何冊も出ていたシリーズをむさぼるように読みました。

海外の童話に出てくる妖精にももちろん憧れましたが、コロボックルは日本で出会える日本の小人です。日本の不思議なので、せいたかさんが出会えるようにわたしもタイミングさえ合えば彼らに出会えるのではないかと、そこらじゅうの草っぱらをかきわけて、木を登ってはうろをのぞき込みました。

また特徴的な絵柄の挿絵も有名で、村上勉さんの絵を見ると自然とコロボックルシリーズと頭のなかでつい結び付けてしまいます。

コロボックルとせいたかさんをはじめとする、同じ日本に住んでいながら全く違う目線で生活していることの新鮮さや、その冒険が小さいころはただただ好きでした。けれど、はたちを過ぎて読み直してみたら、大人になっていく人間たちの変わっていく心情に共感したり、コロボックルたちがのんびり暮らせなくなっていく環境的な変化のやるせなさがぐっと沁みてきて、わたしも手元に置いておきたいシリーズになりました。

もうすっかり終わってしまったとばかり思っていたこのシリーズなのですが、ふと図書館を巡回していると、見慣れた絵柄の見慣れぬタイトルの新しいコロボックルたちに会いました。

作者は佐藤さとる先生ではなく、有川浩先生。

最初はちょっぴりどきどきしながら読み始めたのですが、コロボックルシリーズ独特のぽかぽかの太陽のような柔らかいストーリーは変わっていませんでした。

いつまでも愛されてきたコロボックルシリーズは、これから先もきっとずっとずっと続いていくんだなあと思います。

そういうものをずっとずっと見ていられることはきっとすごく幸せではないでしょうか。

夢についてのあれやこれや【菜虫蝶と化す】

啓蟄 3月16日~3月20日
◆末侯:菜虫蝶と化す(なむしちょうとかす)
◆侯の草花:かたばみ
小さくてかわいい黄色の花が特徴ですが、家紋にも使われることがあるくらい古くからある花です。夜になると葉が閉じて眠る姿が葉の片方が欠けているように見えるから「かたばみ」というのだそう。こういう夜だけ、朝だけ、というような現象とてもすきです。
◆侯のことば:夢虫
昔の人は蝶のことを「夢虫」や「夢見鶏」と呼んでいたんだそう。なぜそんな風に読んでいたかというと、中国の思想家「荘子」の説話「胡蝶の夢」が由来。蝶になる夢を見たけれど、本当のわたしは蝶で、いま人間になっている夢を見ているだけではないか…という話です。確かに蝶というとあの世でもよくひらひらとしているイメージ。

***

夢についてのあれやこれや

蝶が「夢虫」と呼ばれていたということ。

わたしは今回初めて知ったのですが、「夢」に関する話ならもうたくさん語り合いたいことがありまして。

今回の夢は将来的な自分に関する云々ではなく、文字通り夢についてです。

みなさんは夢を見ますか?

どれくらいの頻度で見ますか?

どれくらい覚えていますか?

その夢を覚えていますか?

夢というのはレム睡眠という、眠りの浅いときに見るものだそうで、覚えているかどうかは人によってまちまちですが全ての人が見ているそうですね。

わたしは比較的夢についてはフルカラーで覚えているほうでして、小さいころから何度も見ているものもあれば、続きものもあるし、夢のなかで「ああ夢だなあ」と自覚しながら遊ぶこともあります。

あんまりにも続いた夢は「これは大作だ」と張り切って小学校のときに物語にまとめてコンテストに出したこともありました。

嫌な夢もたくさん見るし、自分の悲鳴で起きるなんてこともざらですが、夢のなかでしか出来ないこともたくさんあったし、眠ることって生きていくうえで絶対に欠かせない要素なので、そうしたらもう夢は毎日見てしまうので、出来るだけ楽しんでいたいなあとは思っています。

 

「夢占い」をしたことはないけれど、夢については一時期凝っていろいろと調べていた時期もありました。

夢は過去に起きたことは知識を断片的に切り取ってそれを頭のなかでなんとなくつなげてストーリーにしているのだとか。なので、まったく知らないことは恐らく夢には出ないのでしょう。空を飛んだりするのもジェットコースターなんかで感じるあのふわっと感を覚えているから出来るそうです。

 

わたしがもう何年も前から気になっていて、まだ試せていないのが「食べるとおかしな夢を見る」と言われているスティルトンチーズです。

ブルーチーズの一種なんですが、寝る前に食べると奇妙な夢をみる確率が高いと実験結果も出ているのです。

やりたい、やりたいと思い続けて5年くらい経っている気がするので今年こそは誰かを道連れにしてやってやろうと思います。

 

そして、夢についてはわたしがとびきりだいすきな作家さんのとびきりだいすきな言葉があります。

江戸川乱歩大先生の名言
『うつし世は夢 夜の夢こそまこと』

内容も字面も美しすぎてたまりません。

日本における推理小説の基礎を作りあげた方ですが、ちょっとひやりとするような幻想的な話もたくさん作った方なので初めてこの言葉を聞いたときはもうさすがだな、と。

乱歩先生の小説の良さのすべてがこの言葉に詰まっている気がしませんか。

今日はこの言葉を抱いて眠りにつきたいと思います。

 

 

 

 

第二の関門【桃始めて笑う】

啓蟄 3月11日~3月15日
◆初侯:桃始めて笑う(ももはじめてわらう)
◆侯の野菜:新たまねぎ
一年中食べられる印象のたまねぎですが、やっぱりおいしいのは春先でとれる新たまねぎ。ほかの季節よりもぎゅっと水分が含んでみずみずしく、甘みがある新たまねぎは生でもたくさん食べられます。
◆侯の花:桃
桃は桜よりもほんの少し早く開花の時期をむかえます。その歴史はとても長く、弥生時代の遺跡からも桃の核が多く出土しているそう。桃の品種名も「源平桃」などなんだか優美で素敵です。

***

第二の関門

嫌いな食べ物や苦手な食べ物は、少しだけ、ある。

食べられなくても人生困らないでしょって思ってしまっているものとか。

そんななかで、たまねぎに関しては「食べる」方面ではなくて「作る」方面で少しだけ苦手だ。

小さなころは、目に染みて泣いてしまうことが嫌だった。

どんなに水にさらしても、どこからともなくつーーーーんと刺激が目に入ってきて、泣きたくないのに涙がぽろぽろ落ちてくる。

涙で包丁が使えないのが嫌でこすると、またしみて泣ける。

つらすぎて水泳用のゴーグルをして切っていたこともあるくらい「やだなあ」と思う”敵”だった。

だけど、いつからだろう。

大人になったから何なのかはわからないけれど、気が付いたらあまり泣かないようになっていた。

もともと、たまねぎを食べることはだいすきである。

ここぞとばかりにたまねぎ料理をした。

そのうち欲が出てきた。

かっこよく千切りのできる女になりたくなってしまったのだ。

いつものように半分に切って、切込みを入れて、「さて」と気合を入れて。

ととととと、と勢いよく切っていた矢先に、今となっては非常に想定内ではあったけれど、包丁が滑った。

つるんと滑って、そのままさっくりと指を切る。

・・・・・・のを、わたしは懲りずに2回続けてやってしまったのだ。

泣くことから卒業は出来たけれど、まだ関門があったわたしは今でもたまねぎだけはとてもとても丁寧に切る。

 

むらさき色に抱く複雑なきもち【蟄虫戸を開く】

啓蟄 3月5日~3月10日
◆初侯:蟄虫戸を開く(すごもりのむしとをひらく)
◆侯の野菜:ぜんまい
くるん、と丸まったかたちがなんとも言えないかわらしさののあるぜんまい。
少し湿った場所で3月ごろから自生してくるそうです。食べるときは必ずあく抜きをしましょう。てんぷらなどにしてちょっぴり塩をつけて食べるのがわたしのお気に入りです。
◆侯の野菜:菫(すみれ)
菫、と一口に言っても日本全国でなんと100種類以上もあると聞いてびっくりしました。小さくて濃い紫色の花がぱっと浮かびますが、ほんのり淡い色の菫もあるそうで、機会があったらぜひ見てみたいなあと思います。

***

むらさき色に抱く複雑なきもち

 

どこか素敵な場所を訪れたとき、

なにか素敵なものにふれたとき、

背景の知識があったらもっともっと楽しめたのになあと悔しくなることはないだろうか。

なんとなくの好奇心で突撃しがちなわたしは、それはもうしょっちゅう感じる気持ちのひとつではあるのだけど、ヨーロッパをふらふらしていたときはあまりの衝撃的な出会いが多すぎて自分の知識の浅はかさにちょっと悔し泣きをしてしまったくらいである。

そのうちのひとつがウィーンを訪れたときに起きた。

ウィーンと言えば、ハプスブルク家である。

ハプスブルク家と言えばやはり外せないのがシェーンブルン宮殿

出発前に「ベルサイユのばら」を全巻読んでいたわたしには、マリーアントワネットが住んでいた場所、そして女帝マリアテレジアが改装をした宮殿という知識だけを蓄えていた。

特にマリアテレジアのかっこよさにはしびれていたので、少しでも彼女の存在を感じられるであろうシェーンブルン宮殿には、ウィーンに到着してからずっとそわそわしてしまっていた。

実際、シェーンブルン宮殿は美しかった。

旅のあいだ、宮殿や城と呼ばれる場所はいくつも見たが、そのなかでも徹底されたあの美しさはトップクラスに覚えている。

マリアテレジアの息吹も確かに感じられた。

彼女が大幅に改装した宮殿はまさに彼女のための場所であったし、「テレジアイエロー」と呼ばれる薄い黄色はどこか気品に満ちていて、国を統一するのにこれ以上ない色だと思った。

しかし、宮殿を音声ガイドに沿って周っているうちに、何度も出てくるもう一人の女性のことが気になって仕方なかった。

恥ずかしながらわたしはエリザベート皇妃」のことをほとんどと言っていいくらい知らなかったのだ。

正確に言うと「エリザベート」という名前は知っていたけれど、そのひとが「シシィ」と呼ばれていること、そしてどれだけ美しく、どれだけ愛されていたかを知らなかった。

宮殿中には美しいシシィの肖像画何枚も飾られ、不仲だといわれていた夫のフランツ・ヨーゼフ1世の「私がどれほどシシィを愛したか、そなたには分かるまい」という言葉でさえも、正確に残されているほどだ。

しかし、シシィは宮殿の堅苦しい生活にはいつまでも慣れず、苦しんで、何度も旅に出て宮殿を離れ、その最期も旅先だった。

「美しい美しい」と言われ続けた彼女は老いを恐れ、部屋にはダイエット器具や体重計が多く残され、彼女がどれだけの思いで生きていたのだろうか、とつい考え込んでしまう。

もっと早く彼女について知っていたらよかったと悔しい思いでいっぱいになった。

 

そしてそんなシシィが宮殿を抜け出して何度も買いに行ったといわれているお菓子がある。

それが「すみれの砂糖菓子」だ。

文字通りすみれの花びらに砂糖をまぶしたものなのだが、そのまま食べてもよし、紅茶やワインにいれても香りとともに楽しめる一品らしい。

らしい、というのはウィーン滞在中にわたしは知らなかったからである。

日本に帰ってハプスブルク家のことを調べなおして、そのうちでシシイの好物を知った。

それまで、考えたことすらなかった「すみれ」がわたしのなかで一気に気になる存在に急浮上してきたのである。

シシィを知ることが出来て、そんなシシィに愛されたお菓子はわたしにとっても愛すべきお菓子だ。

しかし、もっと早く知っておきたかった…!という悔しさはすみれを見るたび思い出す。

次にウィーンに行くときの大きな大きな宿題となった「すみれ」には、妙なライバル心を抱いてしまうようになった。